朝ツーです。
VTXのアライメントを変更したので試乗です。
トレールを20mm大きくしました。この寸法はドナルドとほぼ一緒です。
直進安定性はバッチリですが、フロントの軸重が重たい分、低速の
ハンドル操作が重たくなりました。想像の範囲内でしたが
プロとして、実験して結果を体感することは大切な事と思います。
トレールは再度実験します。単純に元には戻しません。
その為の、ピボット部を従来の構造からの変更です。
仕事も忙しいのですが、とりあえず予定道理に進んでいます。
T140も車検の予備検は取得しました。4月登録して試乗してみます。
30年ぶりの公道復帰となるので、いろいろ問題が出てくると思います。
前回のブログから大きなトピックスが2つあったのですが、ブログには
書けません。どちらもパッピーな事でした。
修理の部品の納入が遅れたり、外注に出した仕事が遅れたり、
忙しいのですが仕事が進みません。
こんな時は、自分のVTXの改造を楽しみます。
フロントサスの取り付けを改造し車高を稼ぎます。
トレールも20mmほど変えてみます。
リヤーはタイヤの変更を予定しているのですが
丁度よいサイズがありません。外径で40mm大きくなってしまいます。
標準タイヤとの比較です。
フェンダーとの干渉もあるので、試してみるしかありません。
次回?トライしてみます。
フロントの改造で車高は20mmほど上がりました。
その為、サイドカーへの乗り込みのステップを取り付けます。
今回はここまでにします。
新しいノギスです。一本3000円くらいの安物の0点が合わなく
なったので、今回はミツトヨのデジタルノギスを購入しまた。
前回購入したソーラーのミツトヨのノギスは、電池交換は不要ですが
やはり暗いところでは測定できなくなります。
今回は電池の物にしました。上がソーラーのノギスです。
バーニアのノギスは、カノンをよく使っていましたが、 デジタルは
ミツトヨが使いやすいと思います。
14日はPから愛情?のこもったチョコをもらいました・
中は手作りのプラグチョコでした。
ただし、この日は自分の不徳の至すところで、Pはご機嫌斜めでした。
道楽おやじ、しょうがありません。
朝ツーです。
メガゼウス復活させました。
アメリカツーリング用の装備を取り外し、輸送途中の
ダメージも修理しました。
先週、切れていた車検も取り直し、テスト走行を兼ねた朝ツーでした。
7ヶ月ぶりの走りは、至って快調です。2001年製なので18年目に入りました。
アメリカで故障したとき、アメリカに置いてきたとか、捨ててきた?と言った人が
いましたが、苦楽を共にした車両ですので、そんな事出来る訳がありません。
このサイドカーのおかげで、技術力のプレゼンもできたし、海外の友人も
増えました。
未知なるサイドカーのハンドリング、ドライビングに驚かされたのも
メガゼウスでした。
「メガゼウスはサイドカーではない」と言う人がいますが、自分は進化した
サイドカーだと思っています。
現在のサイドカーレースのレギュレーションから判断すると
サイドカーではありませんが、昔はサイドカーとしてレースに出れた
構造でした。
昔はサイドカーも、モーガンスリーホイーラーの様な三輪自動車も
同じクラスでレースをしていました。これはイギリスでのサイドカーフィスティバル
の写真です。
1978年にBEO-YAMAHAがレースに出場します。
タミヤのラジコンでも有名な車両です。
TZ500のエンジンを後方に積み、両輪駆動です。
あまりにも早かったので、B2Bというクラスを作ります。
しかし通常のサイドカーに比べると性能の差が激しかったので
翌年の1979年にレギュレーションを変えられ、レースから締め出されます。
出る杭は打たれるって感じです。
動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=Oqc_acPLTIo
このBEO-YAMAHAに準ずる構造がメガゼウスなのです。
メガゼウスを設計したサイドバイク社社長ジャン・C・ペハイは
進化したサイドカーを作ったのです。その為に、シャーシーは一体構造にも関わらず
あえてボディーはオートバイ部分とサイドカー部分と分けて作りました。
ドマーニの様なボディーが一体型のほうが作るにも、コスト的にも
メリットが大きかったにも関わらずにです。
2001年、メガゼウスが発売になった年のジャン・C・ペハイと自分です。
非凡な彼の才能が与えたサイドカー業界への影響は、多大なものだったと思います。
彼は私に、生産5台目のメガゼウスの権利くれました。フランス国内から
の輸出第一号でした。
初期不具合に苦労したものの、その苦労はお客様へのサービスに変わり
現在も販売した沢山のメガゼウスが現役です。
サイドバイク社の終えんは残念でしたが一代理店ではどうする事も出来ませんでした。
しかし、現在も海外のメガゼウスのオーナーと連絡を取り合ったり、
ショップと連絡を取り、お互いに末永く楽しめるように取り組んでいます。
ジャン・C・ペハイの現在の状況はわかりません。
しかし、今もP共々彼のファンである事は間違いありません。
サイドカーのテールライトの変更です。
これがノーマル。
これに変更します。
隙間を埋めても良いのですが、ケースごと作ります。
簡単な型を作り箱の部分を作ります。
フランジを付けます。
フェンダーから元のボックスを切り取ります。
はめ込み、接着し完成です。
文章にすると、たったこれだけなのですが、FRPのワンオフ物は
時間が掛かります。
そう言えば、VTXのパニアケースも時間がかかったなー。
周りでは、インフルエンザ、風邪がはやっていますが
我が家は今の所大丈夫です。
この忙しさでは、病気になる訳にもいかず、朝ツーも控え、
人込みを控えなど、ささやかな抵抗をしています。
T140はリフトから無事降ろす事が出来ました。
後はフロントブレーキライン、メーターケースの塗装、メインスイッチ
の修理が残っています。
ネプロスの9.5ラチェットが具合が悪くなりました。
ラチェットが引っ掛かります。高級な工具だけに残念です。
このNBR390は90枚ギア―で送り角は4度の優れモノです。
分解できるので、蓋を開けてグリスを付けてもだめでした。
ギア―の山が低いのでオーバートルクで壊したかもしれません。
リペアーキットもKTCから出ているという事は、壊れやすいという事なので
しょうか。
こちらは以前から使っている9.5ラチェットです。
36枚ギア―で送り角は10度で、ふたのネジは分解できない様
にカシメてあります。
そう言えばラチェットの不具合など一度も有りませんでした。
ヘッドの大きさもこんなに違います。
リペアキットを手配しようと思いましたが、不具合の
原因を知りたく全て分解します。
汚れたグリスが気になります。小さな部品も全て洗浄し、
チェックしますが、疑わしかったラチェットのギア―も
問題ありませんでした。
組み立てます。ラチェットがスムースに動きます。
どうも原因は小さな異物が噛んでいたようです。
90枚ギア―の繊細さが持つウイークポイントだと思います。
90枚と36枚のギア―の写真がKTCのHPに有りましたので
お借りしまた。
昨日、法事の食事の時「今日は節分だから、まるかぶりを食べる日だね」
と言うと「それって恵方巻きって言うんだよ」と正されました。
この習慣を知ったのが30年位前、関西に出張した時に知ッたのですが
その当時は恵方巻なんて言っていませんでした。
恵方巻って何時から言い始めたか調べると、広島の7-11が最初で
2000年以降全国に広がったようです。
地元では、そのような習慣は有りませんでしたので恵方巻が
正になってしまったようです。
昨夜、Pと食べましたが、1本は多いので半分づつ食べました。
ウマシ。