2019年2月12日火曜日

02/12 出る杭は打たれる

朝ツーです。















メガゼウス復活させました。
アメリカツーリング用の装備を取り外し、輸送途中の
ダメージも修理しました。
先週、切れていた車検も取り直し、テスト走行を兼ねた朝ツーでした。
7ヶ月ぶりの走りは、至って快調です。2001年製なので18年目に入りました。
アメリカで故障したとき、アメリカに置いてきたとか、捨ててきた?と言った人が
いましたが、苦楽を共にした車両ですので、そんな事出来る訳がありません。
このサイドカーのおかげで、技術力のプレゼンもできたし、海外の友人も
増えました。
未知なるサイドカーのハンドリング、ドライビングに驚かされたのも
メガゼウスでした。
















「メガゼウスはサイドカーではない」と言う人がいますが、自分は進化した
サイドカーだと思っています。
現在のサイドカーレースのレギュレーションから判断すると
サイドカーではありませんが、昔はサイドカーとしてレースに出れた
構造でした。
昔はサイドカーも、モーガンスリーホイーラーの様な三輪自動車も
同じクラスでレースをしていました。これはイギリスでのサイドカーフィスティバル
の写真です。















1978年にBEO-YAMAHAがレースに出場します。
タミヤのラジコンでも有名な車両です。















TZ500のエンジンを後方に積み、両輪駆動です。
あまりにも早かったので、B2Bというクラスを作ります。
しかし通常のサイドカーに比べると性能の差が激しかったので
翌年の1979年にレギュレーションを変えられ、レースから締め出されます。
出る杭は打たれるって感じです。

動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=Oqc_acPLTIo

このBEO-YAMAHAに準ずる構造がメガゼウスなのです。
メガゼウスを設計したサイドバイク社社長ジャン・C・ペハイは
進化したサイドカーを作ったのです。その為に、シャーシーは一体構造にも関わらず
あえてボディーはオートバイ部分とサイドカー部分と分けて作りました。
ドマーニの様なボディーが一体型のほうが作るにも、コスト的にも
メリットが大きかったにも関わらずにです。

2001年、メガゼウスが発売になった年のジャン・C・ペハイと自分です。















非凡な彼の才能が与えたサイドカー業界への影響は、多大なものだったと思います。
彼は私に、生産5台目のメガゼウスの権利くれました。フランス国内から
の輸出第一号でした。
初期不具合に苦労したものの、その苦労はお客様へのサービスに変わり
現在も販売した沢山のメガゼウスが現役です。
サイドバイク社の終えんは残念でしたが一代理店ではどうする事も出来ませんでした。
しかし、現在も海外のメガゼウスのオーナーと連絡を取り合ったり、
ショップと連絡を取り、お互いに末永く楽しめるように取り組んでいます。

ジャン・C・ペハイの現在の状況はわかりません。
しかし、今もP共々彼のファンである事は間違いありません。





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