2021年6月6日日曜日

6/6 青春の思い出

朝ツーです。

帰りに給油、メグロK3の燃費は25Km/Lでした。馴らしは1000kmまでなので、

あまり一定の速度では走らないようにしています。

目指せ、カタログデーターの30Km/L。

こんなもの発見。

45年前の旗です。これをフロントフォークに取り付けた旗棒に付けて走っていました。             
メグロクラブは本部が福岡の行橋市に有り、高校2年の時に入会し、高校3年の
時に神戸でミーティングを行なうと言うので、一人で参加しました。
左が自分のZ-7です。
現在の様に、ナビ、ケータイ、ATM、コンビニ、インターネットもない時代に
行った事も無い所に、よく一人で行ったと感心します。
今思えば、そのころから未知な所に行くのが、平気だったのだと思います。

高校の卒業旅行は同級生7人でツーリングです。5人は京都まで、自分ともう一人は
九州一周です。
九州上陸の日が、九州のメグロクラブのツーリングが有るということで
フェリー乗り場まで迎えに来てくれました。半年ぶりの再会に盛り上がり、
やまなみハイウェイのツーリングを楽しみました。



友人は、進学の手続きがあり宮崎で別れ、帰路につきました。
その後は、気ままな一人旅を楽しみました。
この時のオートバイは高校3年の時、友人から買ったポンコツW1Sでした。
このW1Sの調子が悪いのは承知で買い、自分の修理の腕試しを、してみたかった
のです。

バイク屋でオーバーホールしたらしいが、アイドリング不調、異音、オイル漏れ
白煙と最悪です。
エンジンを開けてヘッドから全て自分で修理しました。
オイル上りが気になります。ボーリングしてあるとの事ですが分解してみると、
ピストンとシリンダーとのクリアランスが大きい。
ボーリングした寸法が大きすぎたのです。
工業高校だったので、学校にピストン、シリンダーを持ち込みマイクロメーター
シリンダーケージで測定しました。
但し、再ボーリングするお金がありません。オイル消費が多く白煙が出ていましたが
そのまま乗っていました。
この九州ツーリングでもオイル量は毎日点検です。

このツーリングで、エンジンはノントラブルでしたが、帰り東名高速の名古屋IC
2km手前で後輪のパンクです。パンクしたときに後輪ブレーキを使ってはいけない
と分かっていましたが、蛇行が止まらず、後輪ブレーキを使っていたようで
タイヤに刺さった釘でチューブを何か所も切っていました。
シートのパッチゴムを持って行ったのですが、ほとんど使いました。
10ヶ所位貼ったと思います。
修理は高速道路の路側帯で、ホイールを外さず、自転車のパンク修理の様に
タイヤだけ外して修理しました。
手持ちの空気入れでは圧が上がらないので、2km先の名古屋インターを出て
ガソリンスタンドでエアーを入れ、また高速を使い無事帰宅しました。
その時のタイヤはすでに摩耗して山もなく、カーカスが出ていました。
当時、学生の自分はタイヤを買えるお金も無かったのです。

そう言えば同行した友人も、大分で乗っていったXS1のオイルパンを
宿泊するYHで、ぶつけて割ってしまいオイルが漏れ走行不能になりました。
その時は、オイルパンを外してアルミ溶接をしてくれる所を、自分の
W1Sで二人乗りをして探しました。
当時、アルミの溶接は一般的ではなかったのですが、何とか見つかり
溶接してもらいました。ガスケットも無かったので、ボール紙で
作ったと思います。オイルを入れ、その後、何事もなかったように無事
帰宅したようです。

この様な自由な高校生活を送ることが出来たのも、親のおかげだと思います。
オートバイに乗ることも、オートバイでの旅も反対された事は一度も
ありませんでした。
父親は分かるのですが、心配性な母親は、さぞ心配だったと思います。

高校の時の資金源は、バイトと友人のオートバイの修理、貰った原付を
修理して友人に売ったりしていました。その当時、10台持っていましたが
親に買ってもらったオートバイはZ-7だけでした。
旅行の費用も、自分で貯めたものでした。
我が青春の思い出です。

50年前の話、楽しんで頂けたでしょうか?。









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