2018年7月16日月曜日

7/15 戦争とアラスカハイウェイ

朝の気温、華氏47゜なので8℃です。アラスカより寒いです。














モーテルを出て走り出すと、パトカーがいます。走り抜けると
後ろから付いて来て、止まれのサインです。
停止するとちょっと離れて「二人だけか?」と問いかけられました。
何か違反をしたのかと尋ねると、「スピードが速い」との事でした。
スピードガンで測定したわけではなく、目測の様です。
車が凄く汚れていて、アメリカナンバー、東洋人、この条件で
職質の対象になったようです。
いいブログネタだったんですが写真なし。腰のピストルを見ると
結構使い込まれていて、ガンホルダーの革もいい色をしていました。
ぶっぱなしている証拠です。とても言えませんでした。

廃墟が気になります。














いい顔しています。














なぜかロシアのラーダニーバが有りました。














今日は移動日です。小さな博物館を見つけ、見学します。














動物と先住民の展示が主です。














何処も同じような展示でしたが、面白かったのがアラスカハイウェイの
建設当時のビデオを紹介していました。

同じ映像をYouTubeで見つけました。

アラスカハイウエイについてです。
この道路計画は昔からあったようですが、予算や必要性から
先送りされていましたが、日本が真珠湾を攻撃し第二次世界大戦が始まると
日本軍はアリューシャン列島からもアメリカ本土攻撃を仕掛けようととしました。
アメリカ軍はアラスカへの物資補給の為の道路建設を1942年の3月から
わずか9ヶ月で開通させます。それがアラスカハイウェイ(当時はアルコンハイウエイ)
だったのです。この事はアラスカに来るまで知りませんでした。
ラストフロンティア、アラスカへの道は多くのライダーの憧れです。
しかし、この歴史を知るとチョット日本人として考えさせられました。





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